記憶の中のカルボナーラ

昨日、阿佐ヶ谷の鎌倉パスタというお店に行きました。

100円の割引券があったからです。

100円の割引の為に、216円のバス代を払っていくのもなんだなあ・・と思いながらも、1回行ってみたかったお店なので、まあ良しということにしました。

 

私は、春らしく「鶏のささみとグリーンアスパラのレモンクリームソース」を注文。

連れは、「カルボナーラ」を頼みました。

パンの食べ放題も付けたので、かなりおなかは一杯になってしまったけれど、パスタはまあまあの味で、結構満足でした。

その、カルボナーラのことなのですが、そこのお店のは、上に生卵が乗っていて、自分で食べるときに混ぜるのですが、その時、パスタの熱によって卵が半生状態のよい加減になるって感じでした。

連れがぐるぐる混ぜているときにふと思い出したことがありまして。

 

私の前の旦那様はかなり食べ物にはこだわる方で、一時期カルボナーラを手作りするのに凝った時期がありました。

あれは、塩漬けの豚肉(パンチェッタと言うんだったでしょうか・・・)を使うと本格的になるんです。それを使ったかどうか覚えてないんですけど、卵の固まり具合にはかなりこだわりまして、何回も作り直してました。火が通りすぎても、生でもおいしくなくて、トロトロだけど、火はちゃんと通っている状態が望ましいらしいです。

でも、結構むずかしく、卵がボロボロ状態になったり、固まり方が足りなくて、卵臭さが気になったり、何日かおきに作っては食べていた記憶があります。

何回も失敗してたので、その時期はもう飽きたーというくらい、カルボナーラを食べてたなーーーー。

 

そんなことを、今の連れがカルボナーラの卵をぐるぐる混ぜているときに思い出し、ちょっといやな気持ちになりかけました。

別れた旦那様のことですから、もうあまり思い出したくないのかもしれませんね。

 

何かを見たり、聞いたりしたときにある感情がふつふつと湧き上がってくることがありますよね。

それって、自分の記憶の中のトラウマ的なものがじわーっとにじみ出てきたことによるようで、それが楽しかったり、うれしかったりした記憶なら幸せな感情が生まれます。

でも、それが、自分にとってはあまりうれしくないことだったりすると、それを見たときの感情はもやもやといやあーなものになるわけです。

 

そのトラウマになっているものは、やっかいなことに自分自身のものだけではなく、前世のものから引き継がれていることもあるらしいのです。

それが、潜在意識の中に埋め込まれているらしいです。

そんな前の人のことまで責任持てないよーというのが本音ですが、その潜在意識を変えていくということも、やり方によっては可能みたいです。

 

いやな潜在意識は、ぜひいい感じの潜在意識に変えたいですよね。

そんな気になる方法を今、勉強中。

自分の潜在意識が全部いい感じのものになったら、これからの人生バラ色になるような気がするのですが、いかがなものでしょうか?・・・

 

では、また。 愛と光に満ち溢れた生活を!